80年余の時を経て、今。

建学の父
坂本 貢
東京医療専門学校の前身、「東洋温灸医学院」が大正15年、元号が昭和に変わるその秋、東京四谷に産声をあげ、爾来、創生期の校舎難、世情不安、戦争による災害、終戦後の混乱、資金難等々の波乱の時期を経て、今日の盛隆を迎えました。

創立者である坂本貢は弱冠28才さまざまな苦難を乗越え、東洋温灸医学院の私立学校の許可を受け、全国初の東洋医学の体系的教育機関として実を結ばせました。そのかたわら文部省から委託を受け鍼灸マッサージの講習を全国の女学校で巡回指導し、又、私立学校協会の常任理事に就任するなど各種学校の振興に尽力しました。その間、昭和8年には大番町へ校舎を移転、入学志望者も飛躍的に増加し、信濃町へ新校舎を建設。

しかし、戦時色が次第に濃くなり、昭和20年には終戦を向かえ、一切のものを焼失、終戦後はいちはやくバラックの仮校舎を建設。学校の再建に取りかかり、昭和23年には、「財団法人東京高等鍼灸医学校」として、24年にはあん摩、はり師、きゅう師養成施設として、厚生省から認可が下りました。

手狭になったバラック校舎から昭和28年には現在の新宿区三栄町に校舎を建設。29年には柔道整復科が認可され、その年には熱海市からの養成校設置の強い要望により、静岡県熱海市に「マッサージ師養成専門学校」が設立されました。

その後、東京校では昭和45年に専科(鍼灸科)の新設を申請、認定を受け、48年には今までの支柱であった創立者、坂本貢校長を喪うという悲しい出来事がありましたが、昭和51年には、専修専門学校として「東京高等鍼灸学校」から「東京鍼灸柔整専門学校」と校名を変更し、58年には鍼灸教員養成課程が、現在の代々木校舎に新設されました。昭和61年には校名を「東京医療専門学校」と改称。62年には本館校舎を、平成7年には創立70周年記念事業として、70周年記念棟と学生会館が完成しました。

平成14年4月には、静岡県熱海市にある呉竹鍼灸専門学校を神奈川県の新横浜に移転。設置学科も鍼灸科・柔道整復科を増設し、校名も呉竹鍼灸柔整専門学校とし、70余年の歴史に新たな1ページを加えました。

又、他方では、中国との学術交流は昭和60年より続けられ、中国伝統医学の修得にも励み、国際交流にも成果をあげています。東洋医学は今や、世界中の医療現場で重要な治療方法のひとつとして認知されつつあります。本校もそのような時代に適応した人材を育成し、社会に貢献する努力を続けています。

 
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