40代からのキャリアチェンジ プロスポーツの世界で活躍する本校卒業生 オリンピック帯同トレーナー廣橋憲子先生 40代からのキャリアチェンジ プロスポーツの世界で活躍する本校卒業生 オリンピック帯同トレーナー廣橋憲子先生

【プロフィール】
ワキ鍼灸マッサージ整骨院副院長。1989年柔道整復科卒、1992年鍼灸マッサージ科卒、1994年鍼灸マッサージ教員養成科卒。
競泳日本代表チーム公式トレーナー(2008年北京オリンピック帯同、2012年ロンドンオリンピック帯同)、アジア競技大会トライアスロン日本代表公式トレーナー、シンクロナイズドスイミングスペイン代表チームトレーナー、日本マニュアルセラピー協会チーフインストラクター

海外遠征の宿舎で
プールサイドでのケア
講師として後進の育成
プールサイドでのケア
シンクロナイズドスイミングスペイン代表チームと

医療の世界への挑戦

資格を目指したのは、今から30年以上前。当時主人が鍼灸マッサージ整骨院を経営していて、私は育児をしながら主人の仕事を手伝っていました。私が受付や電話対応をする中、主人の治療が患者さんに喜んでもらっている姿を見て、少しずつこの仕事に興味がわいてきました。ある日、なじみの女性の患者さんから「せっかく治療院にいるのだから、奥さんも治療できればいいのに」と言われて、資格取得のため入学を決心しました。

7年間の学校生活

柔道整復科・鍼灸マッサージ科・鍼灸マッサージ教員養成科と、7年間通学しました。子育てしながら大変でしたが、先生方の熱心な教えや既に資格を持っているクラスメイトが勉強の足りない部分をサポートしてくれたので頑張れました。今でも、運動会や文化祭で盛り上がったのを思い出します。

小学生と中学生だった子供たちは事情についてある程度わかってくれていたようで、私の学業をしっかりサポートしてくれました。日曜日や祭日は極力家族全員で公園や映画に行き、寂しがらないようにしましたね。治療院の手伝いと子育てをしながらの7年間は大変でしたが、試験勉強の最中、子供たちが『肩とんとん』をしてくれたのも懐かしい思い出です。

医療人になって

現在は鍼灸マッサージ整骨院経営、鍼灸マッサージ教員養成科の講師、トレーナー、日本マニュアルセラピーチーフインストラクター、全国各地での盲学校の講習会などをしています。一番やりがいを感じるのは患者さんの笑顔がみられることですね。またトレーナーとしては、自分の技術力を上げることが、オリンピックで金メダルを目指す選手の目標とダイレクトにつながっていることが大きなやりがいです。

呉竹祭
クラスメイトと
柔道大会(前列左から3番目)

オリンピック帯同トレーナーとして

2008年北京オリンピックに次いで、2012年のロンドンにも公式トレーナーとして帯同しました。北京の時は、開会前丸1カ月間の海外帯同をし、オリンピックチームの疲労回復やパフォーマンス向上の手助けをしました。試合自体を観られたのは、日本中を沸かせた、全レース中最後の男子のメドレーリレーだけですが、このレースで日本は銅メダルを取りました。最終的に競泳陣は、戦後最高数のメダル獲得となり、トレーナーとして貴重な経験を積むことができました。

競泳日本代表チームの海外合宿の際は、プールサイドで待機し、要望があれば鍼灸・あん摩・指圧・マッサージ(筋膜から深部組織までオイルを使用したり)・カッピング等様々な施術を行います。夕食後は部屋で順番に選手を治療し、試合中は選手控室で朝から晩まで待機して治療に専念します。

合宿中はプールサイドでのトレーニングと泳ぎを観察。気になる点を相談された場合は、観察を参考に関与している筋肉を特定し改善策を話し合います。夜は選手の自覚する状態を聞いたり触診にて評価し、日中の疲労を取り除き、ぐっすり眠れるように治療します。食欲がない・睡眠が上手くとれない・女性選手の生理関係等の訴えには経穴も用います。試合中は、短時間で疲労をとり、午後の試合に備え、精神的に自信を持ってメダル獲得に向かっていけるようサポートしています。

金・銀・銅メダルを獲得し、セレモニー後に私のところに来てメダルを首にかけてくれたことも。「大変お世話になりました」と言われた時は本当にうれしかったです。

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