中村温灸院 / 院長

大熊千尋(おおくま・ちひろ)さん

卒業学科 / 鍼灸科

取得資格 / 鍼灸師

QUESTION01

鍼灸師を目指したきっかけ

柔道整復師の弟に「俺の代わりに鍼灸師の資格を取ってきて」といわれたのがきっかけです。弟は大学の柔道整復科を卒業し、接骨院に院長として勤めていました。いずれは独立開業したいという夢を持ち、開業したときに鍼灸師もいたほうがいいと考えて私に声をかけたようです。当時、私は美術大学を卒業後、2年ほどは絵を描いて販売したりグループ展に出展したりしていました。このまま仕事に就かないわけにもいかないな、今後どうしようかなと考えていたところ弟に声をかけられ、鍼灸の勉強をやってみることにしました。

QUESTION02

東京医療専門学校を選んだ理由

受験を決めたのが入試日程のギリギリで、どんな学校があるのか調べる時間がありませんでしたが、弟の上司が東京医療専門学校鍼灸科の卒業生だったので紹介してもらい、鍼灸科Ⅰ部に入学しました。25歳のときです。
鍼灸科で学ぶうちに、東洋医学の考え方は私の性に合っていると感じました。勉強がとても楽しかったです。鍼灸師の道に入ってよかったと思いました。

QUESTION03

学校で印象的だったこと

入学すると最初に先生から「みんなで協力し、高め合って国家試験に合格することを目指しましょう」と声がけがありました。入学直後の5月に開催される体育大会がアイスブレイクの役割を果たしていて、クラスみんなで協力して取り組むことを学びます。体育大会でクラスメイトと打ち解け、お互いに壁をつくらず実技授業に臨み、協力して国家試験合格を目指す。そんな設定が最初になされているようでした。
授業の内容は難しく、最初は東洋医学も西洋医学もチンプンカンプンで、外国へ来てしまったような戸惑いがあったのですが、先生方からはご自分の教えている科目が好きというエネルギーが伝わってきて、難しいけれども楽しく授業を受けることができました。
1年生のときは勉強が苦しく感じることもありました。頭の中にパズルのピースがバラバラにあるような状態だったのです。でも2年生、3年生になるにつれ、科目の垣根を越えて知識が結びつくようになりました。1年生の苦しみを乗り越えて2年生になるとパズルの枠組みができ、ピースがつながり、学んでいる内容の絵が見えてくる。段階を追っての成長を実感しました。

QUESTION04

心に残る授業

1年生のときの「はりきゅう理論」は村上哲二先生(現東京医療専門学校校長)に教えていただいたのですが、まだ東洋医学も西洋医学も内容が頭に馴染んでいない自分には言葉のひとつとっても難しく、苦手意識のある科目でした。けれど村上先生は、とっつきにくい内容を身近で分かりやすいものに例えてお話してくださいました。
例えば古代九鍼の授業では、「三稜鍼の稜は稜線の稜、皮膚を破るための鍼だから角が立つ意味の漢字が使われているの」「似た漢字でも陰陵泉の陵は丘陵の陵。もし膝の内側の骨が稜線みたいに鋭く尖っていたら大変でしょう」というように、特に医学の知識がなくてもすっと頭に入ってきて結びつきやすい説明をしてくださいました。おかげで必要以上に怖気づくことなく授業に向きあうことができました。
太ももの筋肉痛がひどい日にたまたまお灸の実技授業がありました。階段の上り下りもつらいほど痛かったのですが、授業でペアを組んだ同級生に督脈(背中の中央を走行する経脈)にお灸をしてもらったら、授業後の階段の上り下りがスムーズで、「痛い場所にお灸していないのに!」と驚き、感動したことをよく覚えています。
在学中、父が突発性難聴になったときは先生に相談してアドバイスをもらい、毎日父の督脈を触ってへこんでいるところに練習がてらお灸をしました。父はもちろん病院にも行っていましたが、お灸を続けるうちに皮膚がとてもきれいになり、明らかに身体が変わっていきました。それがすごくうれしかったです。学生のときの実体験を通してお灸を信じる気持ちが育まれました。
また、1年生の鍼実技の授業で岩元健朗先生から「鍼灸施術を行うにあたり調えること」として最初に教えていただいた「調身、調息、調心、調場」は今も大切にしています。卒業後も岩元先生の勧めで東京都鍼灸師会の症例検討会にも定期的に出席していたこともあり、臨床の学びをたくさんいただきました。

QUESTION05

仕事と勉強の両立

実家暮らしなので家族にサポートしてもらいながら、週5、6日は調剤薬局でアルバイトをしていました。通常は授業後に学校で昼食を済ませ、14時頃に出勤し、閉店の21時過ぎまで勤務しました。仕事の帰りにファミリーレストランで夜ごはんを食べ、店内の様子を見ながら時間の許す限り勉強をしたあと家に帰って寝る、という日常でした。3年生になってからは勤務シフトを減らして学校の自習室で日が暮れるまで勉強をしました。授業で配布されるプリントにたくさん書き込みをして、要点をノートにまとめ直し、重要単語を赤字で記入して赤シートを使って覚えるようにしていましたね。ノートとスマホを連動できる単語帳アプリも活用しました。

QUESTION06

歴史ある温灸院の後継者となった経緯

学校を卒業し、最初に勤務した施術所を退職後、新宿のリラクゼーションサロンに勤めました。新型コロナウイルス感染症拡大で新宿の街から人がほとんどいなくなり、サロンが入店する商業施設が休館になるなどの影響を受けました。コロナの終息が見えない不安が大きくなるなか、登録していた求人サイトのメールマガジンで中村温灸院の求人を見つけたのです。鍼灸院で不定愁訴もみることができるようになりたいと考えていたこともあり、応募したところ、運よく採用されました。
中村温灸院は大正5年に創業した、100年以上の歴史がある生姜灸専門の温灸院です。生姜灸は湿熱という水分を含んだ熱を利用しています。生姜の上でもぐさが燃えた熱によって生姜が熱せられ、生姜片の下から生姜の水分と成分が水蒸気となって発生します。皮膚に向かって発生した熱を帯びた水蒸気は、皮膚の細胞膜を潤すことにより、徐々に細胞組織に熱が伝わるため、持続性があり、治療効果が高くなります。3代目の中村万喜男先生が逝去されたあとは奥様の密子先生が引き継がれ、その後2代は女性が院長を務められました。
当時の院長が産休に入るため、その期間を任せられる人を募集していたようです。私は入職してから生姜灸のやり方を院長から学び、院長が産休の間は私一人で切り盛りしていましたが、院長の産休明けの復帰は難しく、私が継がなければ100年以上続く温灸院をたたむという展開になり、2022年4月から引き継ぎました。

QUESTION07

1日のタイムスケジュール

生姜は厚さ10ミリ程度にスライスして、患者さん1人につき80枚程度使用します。午後12時頃出勤し、新患さんは切りたての生姜を使うので、その準備をします。通常の終了時間は20時頃。施術しながら患者さんのお話を聞き、お一人おひとりに向き合うのが私の性に合っているようです。

QUESTION08

在校生へのメッセージ

3年間を楽しんでほしいです。鍼灸の専門学校で学ぶ内容は難しく、苦しいときもあります。でも苦しいばかりではおいしく飲み込めません。「苦しい」「難しい」をぜひ味わって楽しんでください。学校で学んだことは卒業して鍼灸師になったあとも地続きです。難しいな、わからないなと思いながらも、それが自分の選択や考え方にどうつながるのか想像をたくさんふくらませて、未来とリンクさせながら取り組んでほしいです。

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